人生に悩んでいた、20代後半。
勤めていた会社で働き続けることに限界を感じたので、辞めた。
「次、決まってるの?」
「いや、海外に行ってきます。」
そういうと、みな一様にして顔を曇らせ、なんと返すべきか答えを探しているよだったが、気の利いた答えなんて見つかるはずもなく、ほぼ100%の確率でこう言われた。
「そっか、頑張って。」
まさか海外へ行くなんていう、非現実的な回答が返ってくるなんて想像もしていなかったはずだから、この答えはある意味正解である。
イレギュラーな答えに対する、誰も傷つくことのない返答である。
しかし口先とは裏腹に、その目は憐れみに満ちており、ダメ人間の烙印を押された気分だった。
実際、アラサーで寿退社でもなく無職になるということは、そういうことなのだろう。
でも、それで良かったのだ。
辞めたときは不安でどうしようもなく、自分に言い聞かせたことばだったが、今は心からそう思う。
それで良かった。
日本社会不適合者の私ができるまで
敷かれたレールの上を、踏み外さないように生きてきたつもりだった。
むしろ、そのレールをどうすれば踏み外さないでいられるかを考える方だった。
けれど、そういう人間ほど、何かが壊れると収拾がつかなくなるのだろう。
プチっと切れたのだ。
私の心の中に、小さな音が響いた。
私が辞めたこと
プチっと切れてからは早かった。
すべてをリセットすることにした。
私の1日の大半を占めていた会社を辞めた。
彼氏と別れた。
日本で生きていくことを諦めた。
そして旅に出た。
もちろん、周りからはいろいろ言われた。好奇の目で見られ、何度もやめておけと言われた。
結婚もせんと、彼氏と別れて、転職もせんと海外行くなんて・・・。考え直した方がいいって。
何を言われても、もうどうでも良かった。
意見のない批判を聞くことには慣れていた。けれど、ついに飽きたのだ。
私は社会適合者だと信じていた
こんな私にも、日本社会適合者時代はあった、と思う。
どんなに支離滅裂でも、上司の命令には逆らったことはなかったし、意見したこともなかった。
どんなに辛いことがあっても、口角を持ち上げて完璧な笑顔を作れる人間だった。
そういえば、感情を入れて言う決まり文句ランキングがあれば、間違いなく上位に君臨するであろうこの言葉「申し訳ございません」
この言葉はいつから感情を失くしてしまったのだろう。
気がつけばこの言葉の価値は、「おはようございます」と同等クラスまで下がっていた。
本来は、申し訳ないという気持ちを持ったときに発せられなくてはならないはずだ。
けれど今はもう、口を開けば容易に出てくる。
おはようと間違えて言いそうになるくらいだ。
当初は、無意味にこの言葉を発することに抵抗があった。プライドがあったのだ。
けれど、永遠とも思われる罵倒を一刻も早く切り上げるには、この言葉を使うしかないのだ。
中身のない批判を止めるために使う無意味な謝罪の言葉は、いつしか感情を持たなくなっていった。
血走った目をした上司に、死んだ魚みたいな目をしてやる気あるのかと言われても、申し訳ございません、と言える。
これが縦社会を守るということなのだろう。
お伺いを立て、機嫌を伺いながら仕事をしてきた。
十分できていたと思う。
けれど、このまま人生終わるのか?
死んだ目をしたまま生きていくのか?
そんな疑問が日に日に大きくなっていったのである。
会社に適応させる精一杯の努力をしていたと思う。実際のところ、かなり無理をしていた。
ついに限界を迎えた。
プチッ。
あっ、切れた、と思った。
こんな人生なら、イラナイ。
グッバイ。
生まれて初めての自由と、個性の中にある魅力を知った
海外に出て、自分を表現するという自由を味わった。
思えば小さいときからずっと、学校や会社にコントロールされてきたのだろう。
そこにはいつも、誰かが決めた正しい答えが存在していた。
個性は尊重されなければいけないといいながらも、協調性がその上に重くのしかかっていた。
それがすべて悪いわけではない。
社会の守るべきルールを教育してくれた。だから感謝している。
ただそうは言っても、やはり表現することに関しては不自由だったのではないかと思う。
学校では先生の顔色を伺い、会社では上司の顔色を伺い、そうやって知らず知らずのうちに、彼らが思い描く正解を探りながら過ごしてきたのだ。
だから、正解が幾通りも存在する自由というものに慣れていない。
正解はひとつなのだ。
図工という自由を表現する科目でさえ作品に順位をつけ、そこに正解はひとつしかなかった。
だから混乱した。
彼らの自分を素直に表現する姿勢に、混乱しまくった。
ある日ビーチに泳ぎに行った。
そしたら60代くらいのおばあちゃんが、ビキニを着ていた。
私はビキニが恥ずかしくて、というか三十路でビキニひとつを身にまとって人様に見せるのは見苦しいものがあると遠慮して、上からTシャツを着ていた。
けれどここでは、年齢に関係なく素足で短パンを履き、ビキニを着ているのだ。
日本だとありえないだろう。
あったとしても、変人扱いだ。
けれど、こっちではこれが普通。誰も気にしない。
着たいものを身につけて、堂々としていればそれでOKなのだ。それが個性。
いい服を着ていれば、少しは魅力的な人間に見えるだろうと服装に気を使っていた自分は、バカみたいだなと思った。
おバカさんだ。
なぜなら魅力のある人間は、隠そうとしても隠しきれないのだ。
目には見えない光を発していて眩しくて、魅力が外に溢れ出てしまっているのだ。
私がオーストラリアで出会ったホームステイ先のパパが、まさにそんな人だった。
破れたタンクトップ着て、彼の体格にはどう考えても小さすぎるナップサックを背負っていても、カッコイイのだ。
大人が子供用のリュックを背負っているような見た目だった。
日本でもし、同じ年の50代のオジさんがマネしてしまったら、完全にギャグだろう。
しかし彼の場合は、狙ってもギャグにならない、なれないのだ。そのくらい、彼のオーラはハンパなかった。
こんな人間になりたいと思った。
もう自分の能力の無さを隠すために、いい服を着てごまかすのはやめだ。
辞めよう。
世界のどこかの社会には適応できるのかもしれない
ずっと社会不適合者だと思っていた。
けれどもしかしたら、日本社会不適合者なのかもしれない、と思うようになった。
海外に出て働けたし、生活できた。
もちろん、楽しいことばかりではなかった。英語が下手くそでバカにされ、ツライ思いをたくさんした。
悔し涙を流した回数は、日本で生きていた29年間よりも、オーストラリアで過ごした1年と半年の方が多い。
しかしなぜか、居心地が良かった。
日本にいるより幸せだと感じている自分がいた。
結局、何を選んでもツライことはある。けれどそこで頑張れるかどうかは、ベースとなるものが、自分に合っているかどうかなのだろう。
ここは、上司と労働者という関係でありながらも、交渉は対等だった。
社畜ではない社会だった。
無論、日本の社会の中にも、そういう社風の会社はあるのだろう。私が見つけられなかっただけなのはわかっている。
日本社会不適合者として生きていくことに決めた
こんなことを書きながら、実は、日本に帰国後に派遣で働いていた時期があった。
日本社会へ復帰を果たしたのである。
けれど、つまらなかった。物足りなかった。
こんな私でも、9年間培ったキャリアはある。だから、言われたことに、少しアレンジを加えてみた。
効率的だと思ったし、実際そうだった。
けれど、これでは指示通りではないからやり直すように言われた。
そして、不便な方へとまた修正をした。
なんて無意味なのだろう。
これでいいのか。
流されることを選んで、自分で考えることを止めてしまうのか。
怖かった。
考える力をやっと取り戻したと思った矢先に、またこの力を奪われていくのだろうか。
イヤだった。
それだけはもうイヤだ。
諦めよう。日本で生きていくことを諦めよう。
私は弱いのだろう。日本の縦社会で生きていく力がない。
だから、文句も言わずに働いている人をみると、心から尊敬する。日本でしっかりとやりたいことを見つけ、居場所を見つけいている人を見ると、羨ましい。
私にはできなかった。その逞しさがなかった。
だから、逃げるしかない。自分の居心地がいい方へと逃げるのだ。
紆余曲折あったが、今はワーホリ中に出会った台湾人の男性と結婚をし、台湾で生活をしてる。
今は、この国で必要とされる人間になろうと思う。
日本社会に適応できなかった自分にできるかはわからない。
現実は甘くない。そう言われるのはわかっている。
けれど、私には覚悟がある。
具体性のない批判にはもう耳を傾けない。
私の覚悟は私だけのもの。
誰にも変えることはできない。
ここに、日本社会不適合者として生きていくことを宣言しよう。
完
あとがき
いつもブログを見てくださっている皆さまは、突然の口調の変化に戸惑われたかもしれません。
すみません。
いつもはこんなエッセイ的な書き方しないのですが、(中国語の学習ブログなので当たり前ですね。笑)考えを書く場合は、こっちの書き方の方がなんとなくしっくりくるなと思いまして、変えてみました。
正直、書いていて恥ずかしかったです。
けれど、自分の決意は上に書いた通りです。
社会不適合者でも、生きていかなくていけない。
その生き方は、人それぞれでいいのではないかと思います。
大企業や正社員で働くことだけが、すべてではないと思うんですよね。
一般論を重んじて、自分に合わないことを無理してやり続けて、結局ボロボロになってしまうのは、もったいない。
周りから逃げたとか弱いとか言われても、どうしようもないことはあります。
人は人で自分は自分。
そんな自分の内面を、正直に書いてみました。