人生ってなんなんだ…
そんなことばかりを考えて生きていた社会人時代。
私が会社を辞め海外に飛び出したのは、29歳のときでした。
「海外?今いくつ?自分探しなんて意味ないよ」と鼻で笑われようとも、もうどうでも良くなっていました。
あれから約10年の歳月が経ち…
今、私は台湾人の夫と息子と台湾で幸せに暮らしています。
海外に出て学んだことは、
”今”がつまらなくても、未来は自分の力で変えられるということ
昔の私と同じように、「毎日が楽しくないな、変わりたいな」と悩んでいる方の心に届けば嬉しく思います。
死ぬほどつまらなかった社会人時代
日本で9年間過ごした社会人時代の思い出は、この一言に集約できます。
死ぬほどつまらなかった
こんな人生でも生きてる意味があるのか、誰か納得する答えを持ってきて煎じて飲ませてよ。
そしたら少しは楽になるのだろうか…そんなことを毎日考えて生きていました。
朝の満員電車から始まり終電で帰宅…休みの日も家で仕事。
今よりお金はありましたが、退屈で仕方がなかったです。
日本を飛び出して変わったのは、
なんか今日はダメだったな…と思うことはあっても、
今日もつまらない一日だったな…とは思わなくなっていたこと。
つまらなくしていたのは他でもない、自分自身だったと気付く事ができました。
私の人生をつまらなくしていた正体はこれだった
若い時って何にでも興味も持ててワクワク出来たのに、いつの間にかワクワクが色褪せたものに変わり見向きもしなくなっていて…
ワクワク出来ないのは、歳を重ねたせいだろう…と諦めていたんですけど、
実はそうじゃなかったんです。
いつしか自分で考える事をやめてしまっていた
日本は協調性を重んじるため、個人というものにあまりフォーカスされません。
新しい意見を出そうとすると、上からはあれこれと文句を言われるので、いつしか自分で考えること自体めんどくさくなってしまっていました。
とりあえず人と一緒でいいや。妥当なありきたりの言葉をかき集めて並べとけばいいや。
みたいな感じです。
そうしていくうちに、自分の意見をどんどん持たなくなり、それでもやり過ごすことが出来てしまうので疑問にすら思わなくなっていきました。
自分の事がどんどんわからなくなっていった
今の時代スマホを開けばたくさんの情報をゲット出来ます。
考えるよりも先に「これは~だからいい」っという人の意見が目に飛び込んできて、知らず知らずのうちにあたかもそれが自分の意見のようになってしまっていて。
自分の事を聞かれても自分で考えるよりも先に、
「他の人はどうなんだろう?一般論の正解を知って安心したい」
という思考回路が出来上がってしまっていました。
でも、海外では自分を持っているのが当たり前です。
語学スクールで他のクラスメート(外国人)の意見は具体的なのに、私の意見はめちゃくちゃ抽象的で全く誰の心にも響かない…。
この時初めて、「これじゃダメなんだ。私は自分自身の事を全く知らないんだ」と気付きました。
だから私の人生はつまらなかったんだ…
と、心にスッと答えが降りて来た瞬間でもありました。
自分と向き合うということ
何を楽しいと思うかは本人にしかわらないのに、その本人が考えることを止めてしまったらその人生はつまらないはずですよね。
それからというもの、私は自分と向き合う練習を始めました。
具体的には、
- 自分はどう感じるかを真っ先に考えること
- 自分の意見に誇りを持つこと
- 自分で自分を傷つけないと決意すること
というルールを設けて実践しました。
自分はどう感じるかを真っ先に考えること
他人からしたらくだらない事でも、一日中常に疑問に思い具体的に考えるようにしました。
すると、
「あれ?流行っててみんな聴いてたから好きだと錯覚してただけかもしれない。」
とか、今までとは相反する自分の意見に出くわすように。
自分で考える癖がついてからは、自分の意見を素直に受け入れられるように変化していきました。
そして、自分で考えることを止めていた時とは比べものにならないくらい、ワクワクしている自分がそこにはいたのです。
何かを考えている間ってほんとに楽しいです。
しょうもないことでも何でもいいです!とにかく考える。
そうすると、新しいアイディアが湧いてきたりと、楽しい気持ちになれます。
自分の意見に誇りを持つこと
自分と向き合う時に重要なのが、自分の意見に自信と誇りを持つことです。
ありのままの自分を自分自身が受け入れる勇気を持つこと。
自分と違う意見に出くわしても、流されずに相手の意見と分けて考えられるようにすること。
簡単そうですが、考えること自体面倒になっていた私からすると、思考を修正するのが結構大変でした…
自分で自分を傷つけないと決意すること
また、豆腐メンタルの私からすると、
自分の意見を持つことで人からバカにされるのではないか…
傷ついてしまうのではないのか…
というのが、正直怖かったです。
でも、人の意見と自分の意見は別物であると切り離して考えられるようになると、受け取り方にも変化が現れました。
相手の悪意をそのまま受け止めず、その言葉は自分に必要かどうか、その言葉を受け取るかどうかを自分自身で決めるようになりました。
結局のところ、人からもらった言葉で自分を傷つけているのは、他でもない自分自身であると気づけたのも良かったです。
思いがけず豆腐メンタルを克服できたことは、ラッキーでした。笑
何を楽しいと感じるかは、本人にしかわからない
つまらない人生だと思っているのも自分、そういう思考回路を作っているのも自分自身でした。
そして、自分の事をびっくりするくらい知らずに生きてました。
自分で考えるようになって感じたのは、「昔の私の人生はつまらなくて当然だったな」ということ。
何を楽しいと感じるかは、本人にしかわからない
これが私が出したつまらないの答えです。
本人にしかわからないのに、その本人が自分の好きなことを知らなければ、当然つまらないことしかできないですよね。
自分で考える事ができないから、楽しくなかったのだと今ではわかります。
ありきたりですが、人生は一度しかありません。
その上でどう生きるのか。
その答えはあなたの考えるという作業の中に、あるのではないかと思います。